タリバン、アフガニスタン首都も掌握 ガニ大統領は出国
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タリバン、アフガニスタン首都も掌握 ガニ大統領は出国
2021年8月15日 11:55 更新 3時間前
画像説明, カブール国際空港から出国しようとする人たち
アフガニスタンで進攻を続ける反政府組織タリバンが15日夜、首都カブールに入った。それに先立ち、アシュラフ・ガニ大統領は隣国へ出国した。タリバンはカブールを攻撃して制圧するつもりはなく、平和的な権力移譲を目指すとしている。タリバンは同日夜には、首都の外で待機していた戦闘員に、市内に入るよう指示。大統領府を掌握したとしている。
アフガニスタン国家和解高等評議会のアブドラ・アブドラ議長は15日夜、ガニ大統領が出国したと確認した。フェイスブックに投稿した動画でアブドラ氏は、ガニ氏を「前大統領」と呼び、「国をこのような状態で置き去りにした」ガニ氏について「神が責任を問うし、国も審判を下す」と述べた。
これに先立ちタリバンは15日午後、首都に武力で入るつもりはないとして、権力の平和的移譲へ向けた協議が続いていると述べていた。政府内相は、閣僚が「平和的権力移譲」を準備していると述べた。タリバン報道官はBBCに、「全てのアフガニスタン人が含まれるイスラム首長国のイスラム政府」は「国民と国に奉仕する」と言い、懸念されている女性の権利についても教育や就労の権利を認めると話した。
大統領はタジキスタンへ
画像提供, Reuters 画像説明, ガニ大統領は15日午後に出国した
タリバンは15日夜、首都の入り口で待機させていた戦闘員に、市内に入るよう指示した。「略奪を防ぐため」だと、ザビフラ・ムジャヒド広報官は説明した。アフガニスタン治安部隊がすでに市内の持ち場や検問所を離れているため、タリバンが混乱と略奪を防ぐために市内に入るのだと説明した。
同日夜には、大統領府を掌握したと主張した。
アフガニスタンにおけるアメリカの外交トップ、ロス・ウィルソン代理大使は15日夜、大使館を離れてカブール国際空港に避難した。米当局者によると、大使館に掲げられていた星条旗も空港へ運ばれた。
カブール空港で発砲があったという情報もある。
「平和的権力移譲」を
アフガニスタン政府のアブドル・サッタル・ミルザクワル内相代行は同日午後、地元トロ・テレビが放送した動画で、暫定政府への「平和的権権力移譲」が行われると述べた。カブールが攻撃を受けることはないとも話した。
タリバンはさらに声明で、国民に国内にとどまるよう呼びかけ、「あらゆる経歴の人たちに、将来的なイスラム制度の中に自分がいる様子を思い浮かべてほしい。新しいイスラム制度では、責任ある政府が奉仕し、全員に受け入れられるようになる」と強調した。
カタールの首都ドーハでアフガニスタン政府とタリバンが続けていた和平交渉の場に、アフガニスタン各地の部族長たちが参加し、政権移譲の形を協議することになったという情報もある。
タリバンは15日午後、戦闘員には首都の入り口で待機するよう指示していた。さらに、首都と市民の安全はアフガニスタン政府次第だとして、権力の平和的移譲へ向けた協議が続いていると述べた。
タリバン関係者は、戦闘員には祝砲の発砲を禁止したと述べた。アフガニスタン政府軍の兵士たちには、帰宅を認める方針という。関係者はさらに、空港と病院は運営を続け、緊急援助物資の搬入を阻止することもないと話した。
外国人は、出国を希望する人には出国を認めるほか、滞在を希望する場合はタリバン当局に申告するように言われている。
タリバンはさらに、カブール北郊にあるバグラム空軍基地と刑務所を掌握したと発表した。バグラム空軍基地は2001年10月に始まったアフガニスタン空爆から今年7月2日まで、タリバンやアルカイダと戦う米軍など外国駐留部隊にとって最大の作戦拠点だった。
空港へ渋滞 銀行では行列
こうした状況で、15日には多くの市民がカブールから脱出しようとして、交通渋滞が発生した。カブールで取材するBBC記者によると、多くの店舗や市場は閉店し、一部の政府庁舎も閉じた。持ち場を離れる兵士や警官もいたという。
パキスタンは、国境沿いの地域をタリバンが制圧したため、越境地点のトルカム検問所を閉鎖したとされる。このため、アフガニスタンからの出国ルートはカブール国際空港発の空路のみになった。
空港への道路が渋滞する中、「鍵を車内に残して空港へ歩き始めた人もいる」と、住民の1人はロイター通信に話した。
カブールではさらに住民たちが、預金を引き出そうと銀行で長蛇の列を作っている。現金が足りなくなった支店もあるという。
米軍を中心とした外国駐留軍が20年の軍事作戦を経て撤退すると、タリバンは一気に国内で進撃を続けて、勢力範囲を拡大した。一連の戦闘で数十万人が避難民となり、その多くが安全を求めて首都カブールに避難していた。
画像提供, EPA 画像説明, タリバンが首都に迫ったと知らされ帰宅を急ぐ人たち(15日、カブール)
女性の権利は
カタールの首都ドーハでアフガニスタン政府と和平交渉を続けるタリバンのスハイル・シャヒーン広報官は同日、BBCニュースのキャスターとして生放送中のヤルダ・ハキーム記者に電話をかけ、アフガニスタンの人たちに「報復はしない」と話した。
「アフガニスタンの人たち、とりわけカブールの人たちには、あなたたちの財産や生命は安全だと、約束する。誰にも報復はしない」とシャヒーン氏は述べた。
「タリバン指導部は兵士に、カブールの入り口で待機し、市内に入らないよう指示した。私たちは平和的な権力移譲を待っている」とシャヒーン氏は話した。
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「平和と寛容」の政府になると繰り返したシャヒーン氏は、タリバンのイスラム政府には、タリバンに所属しない人も含め、すべてのアフガニスタン人が参加できるとも述べた。「全てのアフガニスタン人が含まれる」「アフガニスタン・イスラム首長国のイスラム政府」は「国民と国に奉仕する」と強調した。
さらに、アフガニスタン内外で懸念されている女性の扱いについては、女子が教育を受ける権利や女性が家の外で働く権利を認め、女性は頭髪を隠すヘジャブを着ければ外出は認められると述べた。タリバンが制圧した地域ではすでに、戦闘員が女子の登校を禁止したという情報があると指摘されると、それは指導部の方針と異なり、タリバンの名誉を傷つけようとする風説だと述べた。
タリバンが掌握した地域ではすでに、女性が全身を覆うブルカの着用を強制されたり、男性の付き添いなしでの外出が禁止されたりしているという。また、タリバンが強制する行動規範に違反した人たちを殴ったりむちで打ったりしているという報告もある。
お使いの端末ではメディアプレイバックはご利用になれません 動画説明, 「女性に対する戦争を世界は静観している」 アフガニスタンの現状を語る
アメリカの対応は
こうした中、欧米諸国はアフガニスタンに在留している外交スタッフや市民の出国を急いでいる。
バイデン米大統領は、「アメリカや同盟諸国の人員が、秩序だって安全に出国できるよう、駐留中に我々を助けてくれたアフガニスタン人や、とりわけタリバンの脅威にさらされている人たちが、秩序だって安全に避難できるよう」、米兵約5000人を現地に派遣した。
イギリス市民の出国を支援するため、英兵約600人もカブールに派遣された。この英兵たちは、イギリス軍を支援し、タリバンから報復される危険のあるアフガニスタン人の移住も支援する。
他の欧米諸国も自国民を出国させている。大使館を閉鎖する国もある。
バイデン大統領は7月2日深夜に米軍の大半を撤退させたことについて、「よその国の内戦のただなかにアメリカが果てしなくい続ける」ことは正当化できないと述べていた。バイデン氏は7月8日、タリバンがアフガニスタン全土で勝利する可能性は「非常にあり得ない」とも発言していた。
アントニー・ブリンケン米国務長官は日本時間15日夜、米CNNに出演。「どうしてバイデン大統領はこの件についてこれほど間違ったのか」と質問するジェイク・タッパー司会者に対して、「まず文脈をはっきりさせよう。アメリカがアフガニスタンにいた一番の目的は、9/11に我々を攻撃した連中に対抗するためだった」として、オサマ・ビンラディン容疑者を裁き、テロ組織アルカイダの能力を後退させるという目的は果たしたと述べた。
「そもそもアフガニスタンへ行った理由については、我々は目的達成に成功した」とブリンケン氏は言い、「我々が部隊を(アフガニスタンに)残しておけば、現状がずっと維持できたはずだという考え方は、ひたすら間違っていると思う」と続けた。
ブリンケン長官は米ABCニュースに対しても、アフガニスタンでの任務は「成功」だったと強調し、ヴェトナム戦争でアメリカが支援した南ヴェトナム軍の敗北が決定的となった、1975年の「サイゴン陥落」と現状は異なるとの見解を示した。
「これはサイゴンじゃない」と、ブリンケン長官は述べた。
東部ジャララバードは無抵抗
カブール接近の前には、タリバンは14日から15日にかけて、北部バルフ州の州都マザーリシャリーフと東部の主要都市ジャララバードを制圧した。
東部ナンガルハル州の州都ジャララバードでは15日朝、タリバンが一発も発砲することなく、無抵抗の市内を席捲(せっけん)したとされる。
地元政府関係者はロイター通信に「ジャララバードでは何の衝突も起きていない。知事がタリバンに降伏したからだ。市民の命を守るのは、タリバンの入市を認めるしかなかった」と話した。
ジャーナリストのタリク・ガズニワル氏は、州知事がタリバンに行政権を移譲する様子だという写真をツイートした。
ジャララバードを押さえたことで、タリバンはアフガニスタンをパキスタンとつなぐ道路を確保したことになる。
マザーリシャリーフ制圧
ジャララバードに先立ち、14日には北部の要衝マザーリシャリーフがタリバンの支配下に入った。伝統的に反タリバン派だったマザーリシャリーフの陥落は、タリバンにとって大きな戦果となる。ほんの数日前には、ガニ大統領が政府軍の視察に訪れたばかりだった。現地の公務員によると、アフガニスタン第4の都市マザーリシャリーフは、ほとんど戦闘のないまま制圧された。
マザーリシャリーフのあるバルフ州のアバス・エブラヒムザダ議員はAP通信の取材に対し、政府軍がまず降伏し、それに親政府派の武装組織が続いたと語った。
マザーリシャリーフはウズベキスタンとタジキスタン国境に位置する経済の中心地。タリバンが1990年代までこの地域を占領していた。
ウズベキ系軍閥のアブドル・ラシド・ドストゥム司令官とタジク系指導者アッタ・モハンマド・ヌール司令官は、マザーリシャリーフのあるバルフ州を脱出したとの情報もある。
ソーシャルメディアで共有された動画には、無人となったドストゥム氏の家にタリバン戦闘員が入っている様子が映っている。
これに先立ち11日にガニ大統領と協議した際には、ドストゥム氏は「タリバンは何度か北へやってきたが、いつも包囲された」と威勢よく話していた。
ヌール氏は14日、フェイスブック投稿で、自分とドストゥム氏は「安全な場所」にいると書き、マザーリシャリーフでの敗退は政府軍のせいだと非難した。政府軍の兵士たちは自ら武器や装備をタリバンに手渡していたと、ヌール氏は書いた。
マザーリシャリーフの住民はBBCに対して、市内に入るタリバンについて「一軒、一軒、ドアをたたいている。私たちは家にいて、残念ながら何もできない。とても怖い。子供たちはとても怖がっていて、妻は泣いている。明日どうすればいいんだ」と話した。
14日にはこのほか、パクティカ州とクナール州の州都もタリバン支配下に入った。
クナール州アサダバードで撮影された未確認映像では、タリバンの旗を振って道を歩く人たちが映っていた。
カブールでは、タリバンを逃れて避難してきた人たちが、公園などで野宿を余儀なくされている。タリバンが制圧した地域では司令官が、戦闘員の妻にするため未婚の女性を手渡すよう住民に要求しているという話もある。
姉妹2人とパルワンからカブールへ逃れてきたムズダさん(35)は、タリバンに結婚を無理強いさせられるくらいなら、自殺すると話した。ムズダさんはAFP通信に「昼も夜もずっと泣いている」と話した。
画像提供, Getty Images 画像説明, タリバンの攻撃から避難して首都カブールで野宿する人たち(10日、カブール)
アフガニスタン政府は何を
14日にはガニ大統領の録画演説がテレビ放送された。住民がこれ以上を家を追われ、各地で破壊が続くことを防ぐため、アフガニスタン軍の勢力を再結集することが何より最優先されると、大統領は述べた。
ガニ大統領は、国民に「押し付けられた」戦争がこれ以上、命を奪うのは許さないとして、アフガニスタン治安部隊の「勇気」をたたえた。
国連はアフガニスタンの近隣諸国に対して、避難民の安全確保のため、国境を閉じないよう呼びかけた。アントニオ・グテーレス国連事務総長は、状況は制御不可能な状態に陥りつつあると懸念を示していた。
アフガニスタン情勢の変化:アメリカの作戦展開とタリバンの進攻
2001年10月: 9月11日の米同時多発テロを受け、アメリカ主導によるアフガニスタン空爆開始
2009年2月: アメリカはさらに兵士1万7000人の増派を決定。NATO加盟国もアフガニスタンへの増派などを約束
2009年12月: バラク・オバマ米大統領(当時)は、アフガニスタン駐留軍を3万人増員し、計10万人に拡大すると決定。一方で、2011年までに撤退を開始すると表明
2014年10月: アメリカとイギリスが、アフガニスタンでの戦闘作戦を終了
2015年3月: オバマ大統領が、駐留軍の撤退延期を発表。アフガニスタンのアシュラフ・ガニ大統領の要請を受けたもの
2015年10月: オバマ大統領が、2016年末までは兵士9800人をアフガニスタンに残すと述べた。これ以前は、1000人を残し全軍を撤退させると約束していた
2016年7月: オバマ大統領は「安全保障上の不安定な状態」を理由に、2017年には米兵8400人が駐留すると発表。NATOも駐留を継続することに合意したほか、2020年までアフガニスタン政府軍への資金援助を続けると強調した
2017年8月: ドナルド・トランプ大統領(当時)が、タリバンの勢力拡大を受けた増派表明
2019年9月: アメリカとタリバンの和平交渉が決裂
2020年2月: 数カ月におよぶ交渉の末、アメリカとタリバンがドーハで合意に至る。アメリカは駐留軍撤退を約束
2021年4月: ジョー・バイデン大統領、9月11日までに駐留米軍を完全撤退させると表明
5月: 米軍とNATO各国軍の撤退開始
5月: タリバン、南部ヘルマンド州でアフガニスタン軍へ大攻勢開始
6月: タリバン、伝統的な地盤の南部ではなく、北部で攻撃開始
7月2日: カブール北郊にあるバグラム空軍基地から、米軍やNATO加盟各国軍の駐留部隊の撤収完了
7月21日: タリバンが半数の州を制圧と米軍幹部
8月6日: 南部ザランジの州都をタリバン制圧。タリバンが新たに州都を奪還するのは1年ぶり
8月13日: 第2の都市カンダハールを含め4州都がタリバン支配下に
8月14日: タリバン、北部の要衝マザーリシャリーフを制圧
タリバン幹部に日本から独占インタビュー 「われわれはアフガニスタン国民から支持を得ている」(山田敏弘)
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8月15日、アフガニスタンの反政府武装勢力タリバンが、アフガニスタンの全土が「支配下に入った」と声明を発表した。そしてタリバンの共同創設者のアブドゥル・ガニ・バラダル師が大統領宮殿に入ったと報じられ、タリバン側によれば、数日以内にアシュラフ・ガニ大統領を辞任させた上で政権移行が行われるという。
これまでタリバンは、カタールの首都ドーハでアフガン政府と交渉を続けていた。タリバン上層部は、アフガニスタンの政権のことを「カブール政権」と呼んでいる。
今年、アフガニスタンの情勢が大きく動いたのは、アメリカのジョー・バイデン大統領が、アフガニスタンから米軍とNATO部隊の完全撤退を発表した4月。以降、タリバンが攻勢を始め、瞬く間に、ほぼ全土を手中に収めた。
そして先日から、米政府はカブールの米大使館から米国人の国外退避を始めた。大使館が支配されることを恐れ、内部にある機密情報もすべて廃棄する指示を出していた。すでにカブールが陥落するのは時間の問題だった。
筆者が先日話を聞いた米専門家は、アフガニスタンの治安当局や軍は、米軍がいなければタリバンとは戦えないと見ていた。
事実、米軍撤退が進むにつれ、アフガン政府はタリバンの攻勢に太刀打ちできなくなり、政府側の部隊は戦う意欲すらなくなっていった。多くのアフガン部隊員は敵前逃亡し、戦うことすらしなかったし、タリバンに加わる者もいた。
そんなことから、どんどん国土を支配された。この米専門家は「タリバン政権が復活したら国際テロ組織アルカイダも復活するだろう」と指摘する。
タリバン側は米軍などを侵略者と見ており、20年にわたって彼らを追い出すために戦ってきた。そして米軍が国を去る以上、それ自体がタリバンの勝利であり、8月いっぱいで米軍がいなくなれば、アフガニスタンの紛争は国内問題となる。米軍が戻ってくることがない以上、あとはタリバンの思うままになるだろう。
また、これからアフガニスタンに入っている米軍関係者などは侵略者とみなされ、自爆テロなどで攻撃にさらされると見られている。米軍に裏切られたと見るアフガン部隊の関係者らもこれからますます反米になっていくはずだ。そもそも、20年も戦って勝てなかったタリバンと戦うために米軍が再びアフガニスタンに戻るのは今のところ考えにくい。
長期的に見れば、アフガニスタンにはテロリストが戻ってくると見る向きもある。ある元米情報機関幹部は少し前の筆者との会話で、「アメリカの敗北を祝うために世界中のテロ集団が集まる可能性もあるでしょう」と言っていた。
筆者は先日から、カタールでアフガン政府と交渉を続けていたタリバン側に接触し、タリバンの関係者に独自取材を行なっていた。そしてタリバン幹部への単独インタビューを行うことに成功した。
タリバンのアフガン政府との交渉チームのメンバーであるスハイル・シャヒーン氏は、筆者のインタビューにこう語る。
「われわれとカブール政権との交渉は続けられている。平和的な合意や解決を目指して交渉を行なっている」
筆者が、「とはいえ、タリバンは暴力によって領土を支配している」と聞くと、「いや、暴力行為は私たちも望んでいない。それはわれわれの方針ではない。平和的な合意を求めてドーハで交渉しているのだ。私たちは10年前の2013年にここドーハに政治部門のオフィスを開設した。平和的な解決ができる場合のみ、合意にいたるだろう」と言う。
そしてそもそも、米軍が去ることになって、カブール政権がタリバンの支配地域を攻撃し始めたことが今回の混乱の始まりだとも主張した。
彼らはアフガニスタンをどんな国にしたいのだろうか。そう問うと、シャヒーン氏はこう言った。
「私たちはすべてのアフガニスタン国民に政府と関与してもらいたい。皆が参加できる政府にしたい。アフガニスタン政府に全ての国民を受け入れてもらいたい」
さらに筆者は、アフガン国民がタリバンのことをどう見ていると思うのか、と聞いた。
「私たちはアフガン国民から支持を得ている。アフガニスタンの国民から支持を得ることなく、20年間も米兵やNATO部隊と戦い続けることができるはずがない」
シャヒーン氏は、米軍など侵入者たちから自由を得るために戦ってきたことが国民のためだったと強調した。「何十万というわれわれの同胞の命が自由を得るために犠牲になった」
インタビューはさらに続いたが、アフガニスタンの情勢が大きく動いたため、第一報として、インタビューの一部をお送りした。
続報とインタビューの続きは今後お届けしていく予定である。
アフガン大統領が国外脱出 事実上の政権崩壊―タリバン、首都突入を指示:時事ドットコム
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【ニューデリー時事】アフガニスタンの反政府勢力タリバンが15日、首都カブールへ進軍し、ガニ大統領が国外に脱出した。タリバンとの和平交渉責任者、アブドラ前行政長官がフェイスブックで明らかにした。2001年の米英軍による攻撃を機に成立した民主政権の事実上の崩壊とみられ、アフガン情勢は重大な局面を迎えた。
【特集】アフガニスタン情勢
タリバンは戦闘員をカブール市外で待機させた後、ガニ氏の脱出を受けて、市内への突入を指示した。タリバンが権力移譲に当たって主導権を握るのは確実で、停戦の行方も焦点となる。
タリバンは先に、主要都市が軒並み占拠されて孤立している首都の包囲を狭め、ガニ氏に権力を移譲するよう圧力を強化。ミルザクワル内相代行は「暫定政府への権力移譲が平和裏に行われる」と表明していた。
ロイター通信によると、ガニ氏は米国のハリルザド・アフガン和平担当特別代表と急きょ協議。モハマディ国防相代行は「ガニ氏が全権を委任した長老らが16日にカタールの首都ドーハに向かう」と説明した。権力移譲をめぐって交渉する見通しで、タリバンの広報担当者は数日中の「平和的な移譲を望む」と英BBC放送に述べた。
カブール市内について、地元記者は電話取材に「15日になって電話が通じにくくなった。(日曜が平日のアフガンで)銀行も緊急休業した」と証言した。住民が避難するための現金も引き出せない状態という。
タリバンの進軍に先立ち、米国防総省は、大使館員の退避支援のためカブールに軍を増派すると発表。ロイター通信によると、15日にはヘリコプターで退避が始まった。
タリバンは14日、北部バルフ州の州都である要衝マザリシャリフを制圧。政府側は東部ジャララバードも15日に失った。政府軍の士気の低下は明らかで、連日の州都陥落により、全34州都の大半がタリバンの手に落ちた。
マザリシャリフは、中央アジア・ウズベキスタンとの国境に近い交易の拠点で、ガニ氏が反撃の拠点とすべく11日に訪れ、政府軍を激励したばかりだった。地元州議会議員は取材に「タジク人のアタ・モハンマド・ヌール元州知事、ウズベク人のドスタム将軍ら軍閥トップを含め、街の守備部隊は国境に向かって逃げ出した」と語った。