米軍、アフガンから完全撤退 「20年近くの任務完了」 [アフガニスタン情勢]:朝日新聞デジタル
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米中央軍のマッケンジー司令官は30日夕、オンラインで記者会見し、アフガニスタンの首都カブールの国際空港で展開していた退避作戦が完了したと表明した。米国東部時間30日午後3時29分(アフガニスタン時間30日午後11時59分)、最後の米軍輸送機C17が同空港を離陸したという。2001年9月11日の米同時多発テロをきっかけに始まった「米国史上最長の戦争」に終止符が打たれた。
マッケンジー司令官は記者会見で「今夜の米軍撤退は、退避作戦の終了とともに、01年9月11日直後にアフガニスタンで始まった20年近くに及ぶ我々の任務の完了を意味する」と指摘。米軍がアフガニスタン戦争で、オサマ・ビンラディン容疑者や国際テロ組織アルカイダを相手に戦ったことを振り返り、「決して簡単な任務ではなかった」と強調。2461人の米兵や市民が死亡し、2万人が負傷したと語った。
一方、カブール空港で展開した退避作戦の結果についても報告し、アフガニスタン政権崩壊前日の14日以降、米軍は7万9千人を国外に搬送。内訳は、6千人が米国市民、7万3千人がアフガニスタン人や外国人だという。同盟国による搬送を合わせると、12万3千人超を搬送したという。ブリンケン国務長官は30日、アフガニスタン国内には、200人未満の出国を希望する米国市民が残されていることを明らかにし、タリバンに対して安全な出国を認めるよう改めて求めた。
マッケンジー氏は、退避作戦最終盤の26日に過激派組織「イスラム国」(IS)支部組織の自爆テロで米軍兵士13人が死亡したことに言及し、「IS支部の脅威は極めて現実的であり、悲惨な結果となった」と述べ、その死を悼んだ。
タリバンのスハイル・シャヒーン幹部は31日、「最後の米軍機が飛び立った。我が国は完全な独立を勝ち取った」とツイートした。
米国は2001年9月11日の米同時多発テロ後の同年10月、国際テロ組織アルカイダを保護していたアフガニスタンのタリバン政権に対する攻撃を開始。同政権を打倒し、民主政権の樹立を支援した。米軍はその後もアフガニスタンに駐留を続け対テロ組織掃討作戦などを続けていたが、米国内では長引く戦争に撤退を求める声が高まっていた。
バイデン米大統領は4月、米同時多発テロから20年の節目となる今年9月11日までに米軍をアフガニスタンから撤退させ、米国史上最長の戦争を終わらせると表明。その後8月31日までに米軍を撤退する方針を打ち出していた。
米軍撤退の動きを受けて、8月中旬にはタリバンがアフガニスタンの首都カブールを制圧。米国が支援するアフガニスタン政府が崩壊したが、バイデン政権は同月末までの撤退方針を変えなかった。しかし、26日にはカブール空港周辺でIS支部組織による自爆テロ攻撃があり、米軍兵士13人が死亡し、18人が負傷。米軍は27日、アフガニスタン東部ナンガルハル州でドローンによる報復攻撃を行い、IS支部組織メンバー2人を殺害した。
また、米軍は29日、首都カブールで無人機による空爆を実施した。米陸軍のテイラー少将は30日、この空爆の巻き添えで民間人が死亡したという報道について「とても深刻にとらえている。状況を引き続き調べている」と述べた。米国防総省は民間人の被害を確認した場合は、事実を公表する方針を示した。(ワシントン=園田耕司、大島隆、合田禄)
米中央軍のマッキンジー司令官は30日、アフガニスタンに駐留する米軍が米国民らの退避作戦を完了し、アフガニスタンから完全に撤退したことを発表した。米国史上最長となる20年に及ぶ戦争が終結した。
米国は2001年の米同時多発テロ後の同年10月、国際テロ組織アルカイダを保護していたアフガニスタンのタリバン政権に対する攻撃を開始。同政権を打倒し、民主政権の樹立を支援した。米軍はその後もアフガニスタンに駐留を続け対テロ組織掃討作戦などを続けていたが、米国内では長引く戦争に撤退を求める声が高まっていた。
バイデン大統領は4月、米同時多発テロから20年の節目となる今年9月11日までに米軍をアフガニスタンから撤退させ、米国史上最長の戦争を終わらせると表明。その後8月31日までに米軍を撤退する方針を打ち出していた。
米軍撤退の動きを受けて、8月中旬にはタリバンがアフガニスタンの首都カブールを制圧。米国が支援するアフガニスタン政府が崩壊したが、バイデン政権は同月末までの撤退方針を変えなかった。しかし、8月26日にはカブールの空港周辺で過激派組織「イスラム国」系組織によるテロ攻撃があり、米軍兵士13人ら多数が死傷した。(ワシントン=大島隆)
米軍がアフガニスタンからの撤退を完了(CNN.co.jp)
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アメリカとタリバンの「反IS共闘」に現実味
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<過去にもアメリカは「イスラム国」と対抗するために敵対勢力と連携してきた。脱出作戦が困難を極めるなか、アメリカとタリバンが手を結ぶシナリオが浮上?>
ちょうど米副大統領のカマラ・ハリスがベトナムを訪ねているときに、アフガニスタンで混乱と流血と絶望の脱出劇が繰り広げられたことは、46年前の出来事をいやでも思い出させた。今回の米軍のアフガニスタン撤退と、約半世紀前に起きたベトナム戦争時のサイゴン陥落を重ね合わせたアメリカ人は多い。
一方、現在のアフガニスタン情勢に関して見落とせないのは、アメリカと、アフガニスタンを掌握したイスラム主義勢力タリバンの関係性が変容しつつあることだ。
8月26日にアフガニスタンの首都カブールの国際空港近くで起きた自爆テロにより、米兵13人を含め170人以上が死亡した後、バイデン大統領はこう言い切った。「私たちは決して許さない。決して忘れない。必ず追い詰め、代償を払わせる」
しかし、バイデンが決して言わなかったことがある。タリバンを非難する言葉は一切口にしなかったのだ。むしろ、テロを実行した過激派組織「イスラム国」(IS)傘下のグループ「ISホラサン州(IS-K)」を「タリバンの宿敵」と名指しした。
脱出作戦を進めるためにタリバンの協力が必要という面もあっただろうが、それだけではない。IS-Kの脅威は、脱出作戦終了後も続く。しかもタリバンが賢ければ、IS-Kの脅威を強調することにより、アメリカや同盟国のタリバン政権への態度を軟化させようとするに違いない。
実際、8月26日のテロでIS-Kが殺害したアメリカ人は、2019年以降にタリバンが殺害したアメリカ人よりも多い。少なくとも最近のタリバンは、米軍の撤退を加速させるために、米軍への攻撃を避けていた。IS-Kにそのような発想はない。
それに、タリバンもIS-Kの根絶を最優先課題と位置付けているようだ。カブールを制圧すると早々に、刑務所に収容されていたIS-Kの元リーダーを処刑している。
これまでアメリカは、ISと対抗するためにしばしば敵対勢力とも連携してきた。イラクとシリアでは、シリア反政府勢力(2001年の9.11テロを実行した国際テロ組織アルカイダと極めて近いグループもあった)や、クルド人武装勢力(米政府がテロ組織に指定しているグループと連携していた)とも手を結んだ。
アフガニスタンでも既に、以前は想像もできなかったことが起きつつある。例えば、CIAのバーンズ長官がカブールを訪れて、タリバンの事実上のリーダーと会談していたことが明らかになっている。