【聖火が巡る】大林素子さん、第2の故郷・会津若松市走り「火つなぐ重み感じた」
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歴史好きで知られる大林さんは会津若松市のシンボル、鶴ケ城近くを笑顔で走った
東京五輪の聖火リレーは26日、福島県で2日目を実施した。県沿岸部の伝統行事「相馬野馬追(そうまのまおい)」の出陣式が行われる相馬中村神社(相馬市)をスタート。バレーボール女子元日本代表の大林素子さん(53)は、2日目の最終ランナーとして、観光大使を務める会津若松市を走った。
夕暮れ時の会津で希望の灯をつないだ。2日目の最終ランナー、大林さんは鶴ケ城をバックにトーチキス。聖火を受け取ると、鶴ケ城公園内を約200メートル、笑顔で走り切った。
「無事に(聖火を)つなげてほっとしました。歴史が好きな私にとって、一番の聖地を走らせてもらい、とても幸せでした」
東京・小平市出身の大林さんにとって、会津若松市は第2の故郷。大好きな新選組のゆかりの地に、約2年前からアパートを借りて暮らす。聖火リレーに向けて、24日に福島入り。この日は鶴ケ城まで徒歩圏内の自宅から現地に入った。
聖火リレー2日目の最終ランナーとして、聖火皿に火を移した。大役を終えると「聖火は『五輪の象徴』であり、『平和の象徴』。アスリートにとっては『戦いの炎』でもある。その火をつなぐ重みを感じました」と安堵(あんど)した。
新型コロナウイルス感染拡大で1年延期となった東京五輪。大林さんは1998年の長野冬季五輪でも聖火ランナーを務めているが、「その時とは環境、状況が違う。(開催)懐疑論が出ている中で、周りはどう思うだろう」と走る前は不安もあった。しかし、スタートすると「皆さんが温かく見守ってくださった。応援が本当にありがたかった」と背中を押された。
88年のソウル五輪から3大会連続で五輪に出場したオリンピアンは、「(聖火が)他の県にも無事につながっていったらなと思います」。安全、安心の東京五輪開催へ、祈りを込めて走り切った。
【聖火が巡る】大林素子さん「頑張りたいと言えない世の中はつらいだろうと思う」選手の気持ちを代弁
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第2の故郷、会津若松市で聖火ランナーを務める大林さん。2018年9月に名所の鶴ケ城を訪れた際の1枚(本人提供)
東京五輪の聖火リレーは25日、福島県のサッカー施設・Jヴィレッジをスタート。7月23日の開会式までの121日間に47都道府県を駆け抜ける。2日目の26日に福島・会津若松市を走るバレーボール女子元日本代表の大林素子さん(53)は選手や東日本大震災の被災者、新型コロナウイルスで苦しむ人々への思いを胸にトーチを手にする。(取材構成・只木信昭)
新型コロナウイルスの世界的流行による大会延期で、聖火リレーも昨年3月のスタート直前に延期。それからの1年間で人々の大会やリレーへの見方も様変わりした。今夏開催を疑問視する世論が広がる中、大林さんは選手の思いを代弁する。
「やりたい、頑張りたいといえない世の中はつらいだろうと思います」
一方で、医療従事者の過酷な状況も垣間見てきた。昨年11月に現役時代の古傷が再発。股関節と左膝に水がたまり、約2カ月間の松葉づえ生活に。今も続くリハビリの中で医療関係者の声を聴く機会も多かった。「担当の医師も、五輪を手伝う予定だけどどうなるか…と話していました」。
それぞれの思いが理解できるから、手放しで聖火リレーを楽しみとはいえない。それでも「選んでいただいた以上、一生懸命つなぎたい」。走るのは会津若松市。オタクと自称するほどの歴史好きが縁だった。
自身が生まれ育った東京・多摩地区は、幕末に名をはせた新選組の中心人物たちの出身地。中でも副長・土方歳三が恋人だ。「滅びながらも戦い切った、最後の武士の生きざまに魅了されました。選手時代は負けると分かっている相手とも戦わないといけないことがあり、通じるものがありました」。京都・壬生寺や函館・五稜郭など、ゆかりの地へは何度も足を運んだ。「この空を見たんだ、この道を歩いたんだと思える所に行くのが好きで。いい観光客ですよね」と笑う。
若松の聖火リレー最終走者・大林素子さん トーチとウエア展示(福島民報)
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